ワカ・デ・ウメ泊、バンリ村でバリアン体験他、帰国報告 [20908] 少しでも参考になれば… 投稿者:toko 投稿日:2002/10/20(Sun) 16:59
きんたさん、まーにさん、初めまして。 12〜18日まで友人と4人でバリにおり、昨日帰ってきました。私自身は8回目のバリでした。 今回、ホテルを決定するのにこのサイトを大変活用させていただきましたので、少しでも参考になればと思い、私の見てきた様子を書かせていただきます。
12〜15日まではウブドのワカデウメにいました。 12日の夜、いつもよりやけに犬が鳴いていた。「なんだか変だな」とは思ったものの、まさかそんな事件があったとはまったく気づきもせず就寝。 13日の朝、この日からバリへ来る友達が日本から電話をくれて事件のあったことを知り、家族に「私たちは無事」と連絡。トゥバンに住む現地の友人に電話をすると、知り合いはみな無事とのこと。この時に事件のあった場所がマタハリデパートの近くと知る。昼前に、夜のケチャックダンスのチケットを求めに情報センターに行ったところ、テレビで事件のことをずっと流しており、その時点では、「50人以上が死亡」と教えてもらう。その後、Jl.モンキーフォレストからJl.ハノマンを散歩するが、人通りがいつもよりも少なく、やや静かといった印象。人が少ないのは「日曜日だからかな」と思った程度。途中、お茶をしたカフェでは、スタッフが「bombのことを知っているか? 僕の友達も2人けがをした。でも、ウブドは大丈夫」と話してくれる。どの店でも事件のニュースをテレビで見ていた。一度ホテルへ戻り、アフタヌーンティーをいただく。この際、ホテルのスタッフから事件についての話は特になし。夜、ケチャックの会場では、ほとんど席が埋まり、日本人以外にもオーストラリア人など多くの観光客が集まっていた。その後、カフェに入ると各テーブルの上には、「bombでの負傷者に食料や毛布、衣料品、医薬品が足りないので、協力をしてくれる人は連絡をください」といったメモが置かれていた。店を出ると、人通りは本当に少なく、「ウブドの夜は早い方だけれども、こんなに早かっただろうか?」とのんきに思う。ホテルのシャトルバスを待っていると、やけに地元の人たちが集まっている。「何かお祭りのことで集まっているのだろうか」と思う。ホテルに戻ると、今回の事件についてホテルから「残念ながら、今私たちは『バリは安全です』とは言うことができません。なるべくならば、ホテル内で楽しんでいただくことをおすすめします。旅行中の無事をお祈りしています」といった内容のメッセージが届いていた。 14日は、イブオカで昼食。前日とは違い、人通りも多く、町はにぎやか。午後からバンリ村でのバリアン体験ツアーに参加。途中、通った村でもあまり変わった様子は見られなかったが、ただ一つ私でも分かった大きな違いは、ほとんどの家の前にインドネシアの国旗が半旗で掲げられていたこと。パワーストーンを授かるときに、「旅の安全もお祈りしました」とのこと。途中、ライステラスと海が見える場所へ連れていってくれ、「同じ島で、そんな事件があったとは思えない」ほど穏やかな風景が広がっていた。夕食はウブドのレストランにて、友人の誕生日を祝う。店内ではオーストラリア人らしき人たちのパーティーが行われていて、ほぼ満席。ホテルに戻ると、友人へホテルからバースデーケーキが届いていた。 15日は荷造りを済ませた後、ホテルのまわりを散歩。ホテルの隣にある銀細工のお店で、買い物。部屋も貸しているというので、見せてもらう。そこのお父さんはレギャンでホテルかツアーのドライバーの仕事をしているらしく、今日からスミニャックへ行くと言うと、「スミニャックの辺りは今は大丈夫。向こうへ行っても、人が多く集まるところへ行かないようにしなさいね」と話してくれる。 サンティカビラズへ移動。日本人スタッフのケイコさんが「事件のことは知っていますか?」と部屋に挨拶にきてくれる。クタはどうなっているか尋ねたところ、「現場近くの道は通れない。閉まっているお店もある。お買い物をするのなら、レギャンにもお店がいっぱいありますから」など教えてくれた。ここで初めてNHKを見ることができた。夕陽を見にビーチへ出ると、クタの沖に軍艦らしき船が停泊。今までこんな船をこの海で見たことがなく、やはり事件のためなのだろう。 ビンタンマーケットで買い物をし(セキュリティーチェックなど特になし)、マデスワルンで夕食。客は多く、ほぼ満席に近い。入り口のガードマンらしき人たちの数も少し多めだった様子。帰りのタクシーの中から見ると、普段なら夜、多くの人でにぎわっているような店がガラガラ。 16日は7時半にホテルを出てタクシーでトゥバンの友人宅へ向かう。Jl.レギャンを通らずに、最近できた新しい道を通る。友人にトローリングに連れていってもらう。昨日の軍艦の姿はなかった。友人は船でサーファーを沖へ連れていく仕事をしているのだが、やはり「これからお客が減り、大変になりそうだ」とのこと。「でも、今の方がパトロールなどの警戒が厳しいから少しは安全だろう」とも。ビーチに集まる人たちも、普段よりも少ない。友人は、夜、バンジャールで当番でパトロールすることになり、出かける。ウブドで地元の人たちが集まっていたのも、このパトロールのためだったのかもしれない。 17日、カフェモカにて昼食。その後、買い物のためにクタへ。ベモコーナーの辺りから現場への道はバイクは通れるが車両通行止めになっていた。お花をあげる人たちや、報道関係の人たちが多く通っていた。店は開いているところが多かった。少し道を行きかけたが、胸が苦しくなり、それ以上進めず戻る。途中、「僕のお店も壊れて、今、仕事ができない。多分、1カ月ぐらいはできないでしょう。ごめんなさい。僕たちがしたことではないけれども、バリで起きたことなので、ごめんなさい」と男の子が声をかけてくれた。友人に頼んで献花をしに連れていってもらうという一人と別れ、ホテルへ戻る。 18日、正午にチェックアウト。その後、ホテルのスタッフが連れていってくれた両替所には「A、B、O型の血液が足りません。ご協力を」といった張り紙が。募金も集めていたので、少額だが協力。ホテルへ戻り、昼食後、エステへ出かける。帰りにJL.パンテイクタからJL.レギャンを通ったが、ところどころ渋滞がはげしい。ハードロックカフェのショーウインドーは暗く、店は閉まっているように見えた。そのほかの通りにある店は開いているところの方が多い。ホテルに戻り、空港へ送ってくれる車を待つ。ガイドさんは、「私の家でも、あの夜、大きな音が聞こえました。半旗を見ると涙が出てきます」と話してくれた。空港は最初、一ヶ所だけしか入り口が開いておらず、かなり列が長くなったが、途中、もう一ヶ所も開けられた。入り口ではエアチケットとパスポートのチェック。そのすぐ横では警察が机を出しており、自動小銃を持つ兵士の姿も見られた。チェックインした後、見送りに来てくれる友人に会いに空港の外へ。今回は会えなかった知り合いたちとも、この時に会うことができた。飛行機は定刻通りに出発。
…以上、長くなりましたが、こんな感じで、ほとんど予定していたことができ、私たちなりに今回もバリを楽しむことができました。 ウブドがテロの標的の一つだったという噂は日本へ帰ってから知りました。確かに危機意識が少なすぎたのかもしれません、ただ幸運だっただけかもしれません。特に、今回は旅行会社を通さずにすべて個人で手配したために、現地で旅行会社からの情報といったものは全くなかったため、余計に鈍感だったのかもしれません。 しかし、日本へ帰ってきてニュースで見ると「楽園の島だったはずのバリ全体が恐怖に包まれている」といったように画一的に、一面性しか伝えておらず、なんだか違和感があります。多くの犠牲者が出ているので当然のことなのかもしれませんが…。今朝も「いまだにバリでは多くの観光客相手の店が閉まっている」といったコメントとともに流れていた映像では、多分、私がいたときには開いていた店であり(その映像は開店前、スタッフが店の前を掃除している様子に見えました)、本当のバリの様子は日本では分かりづらいなと思いました。
もしこれを読んで、非常識と思われたり、気を悪くされた方がいらっしゃったらごめんなさい。正直言って、書きこみをするかちょっと迷いました。ただ、バリが好きな方たちに、ちょうど事件からの一週間、私たちが見てきたバリを少しでも分かっていただければと思います。
犠牲となられた方々に心からご冥福をお祈りいたします。 そしてバリの人たちに、一日も早く、心穏やかな生活が送れる日が来ることを願っています。
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